話し、聞き、読み、書きは人が社会生活を営む為に必須の事です。
どこかのお国のように平気で人のものを自分のものだと堂々と言う国もあるが、
それぞれの民族のデリカシーはその言語の多様さによって違ってくるのではなかろうかと思います。
言葉は民族の歴史であり、良識、教養を現すものです
ビジネスをしている者の感覚からすると、最近のビジネスマンの話し方にはとても疑問を感じることがあります
慣れ合い、甘え、立場を弁えない等々です。
自分と相手の立場を理解して分を弁え、身の程を知り、恥を知る事、一歩下がる気持ちを持たず
何もかも平等だと云う有り得ない幻想に捕われた戦後教育の勘違いで、
言葉の持つ重さと内容が明らかに劣化しているのではないでしょうか。
日常生活のしきたりや、メンタリティが薄れてバカがバカで有る事に恥じらいを持たず、
結構な年の大人が嬉しがって若者の使う流行の言葉を真似ている様な場面をみると情けなくなります
(でも、もしかしたらそういう感性が時代遅れなのかも知れませんが)
それでも私自身は、気をつけて正確で美しい言葉を使えるようにしなければならないと思っています。
by万治郎